デヴィッド・ドブキン『ジャッジ 裁かれる判事』

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ロバート・ダウニーJrといえばアイアンマン、つまりはトニー・スタークである。

もちろんロバート・ダウニーJrにはそれ以外にも様々な役を演じているし、アイアンマン以前にもキャリアが存在する(不祥事も)。しかしながら過去を知る者を除けばロバート・ダウニーJrはトニー・スタークそのものであり、アベンジャーズを実質的に束ねているボスなのである(とはいえ役柄のキャラクター的にその意志はさらさらないが)。そんな彼がトニー・スタークではない自分を求めるのは当たり前の話だろう。

「ヒット作に恵まれる。それは交通事故のようなもの」そう言ったのは渋谷陽一だけど(※出典なし)、まさにロバート・ダウニーJrはどの映画においてもトニー・スタークであることを望まれた。とはいえ彼が出演する作品の大半がトニー・スタークそのものとしての出演なので、その成り行きは当たり前なのだが、「シャーロック・ホームズ」に出てもトニー・スターク(のようなもの)、「シェフ」に出てもトニー・スターク(のようなもの)、そういうものを演じさせられると、それに嫌気が差すのは当たり前だろう。桑田佳祐がサザンとは違ったアウトプットを求めること、庵野秀明エヴァ以外のものを作ろうとすること、織田裕二が青島刑事以外のキャラクターを演じようとすること、それはすべてヒット作の呪縛から逃れたいがためなのである。

ところが、ロバート・ダウニーJr.は何を血迷ったのか、自分のお金をつぎ込んで作った今作にトニー・スタークのまま乗り込んだのである。

 

監督はデヴィッド・ドブキン、脚本はニック・シェンク、ビル・ダビュークだがここは無視していい。基本的にはスーザン・ダウニーがプロデュースしていることである。スーザン・ダウニーはロバート・ダウニーJrの奥さんで、元々は映画製作をしている人なのだが、その辺はさておいて基本的にはロバートのサポートをしている人物と見ていいだろう。製作会社に「チームダウニー」と書かれているが、要はこの2人を中心に作られた作品ということである。

基本的にはインディペンデント作品、とまではいかないのだが、そちら側の映画であることは間違いない。「アイアンマン」に疲れたロバートが自分自身が好きだといえる映画を自分で作る。そのようなコンセプトで作られた作品だと世間的には見られるだろう。もしくはいずれ出演者側の立場を降りたロバートが制作側の人間として映画と関わっていくための作品の一つと捉えられるかもしれない。それはそれで間違っていないと思う。

しかしむしろこれがロバート・ダウニーJrの現在なのだと思わされたというのが正直なところだ。アイアンマンの呪縛から逃れるためでもなく、後のキャリアを見据えたわけでもなく、これが今のロバートなのである。

 

ロバート・ダウニーJr、1965年生まれ、現在50歳。50代ってどういう年だ?ってことは毛が生えたばかりの20代の若僧には正直想像も付かないのだが、この映画を見ているとやっぱり親というものをいろいろ考えさせられる時期なのかなと思う。

主人公のハンクはやり手の弁護士だが一方では離婚訴訟中。おまけに実家とは疎遠。母親の逝去のタイミングで帰郷し、タイヤショップを経営する兄、そして精神薄弱者の弟、そして判事を務める父親と再会する。

この設定はまさにロバートが今演じたいと思う役柄そのものではないのだろうか。彼が実際に離婚訴訟をしている/していたかはわからないし、父親が判事というわけではないと思う。しかし40代も後半にさしかかり、「アイアンマン」におけるトニー・スタークでさえも若さを失い責任感ある立場に移行する中で、中年の危機とも言えるような題材に立ち向かうことは彼にとっても必然だったのではないだろうか。

そして上にも書いたが、この物語の主人公はやりての弁護士である。口八丁で法廷をやり込むことができる。それはまさにロバートが演じてきたトニー・スタークそのものに見える。言い換えるなら彼はトニー・スタークのまま、その危機を乗り越えようとしたのだ。

 

という文脈がわからない人がこの映画を楽しめるか、その望みは薄いと言わざる得ないというのは正直なところだ。というか、僕はロバートがトニー・スタークとして生きてきた以降の姿しかほとんどしらないのでそういうふうにしか見れなかった。だからこの映画がこれらの前提なしに楽しめるものかはわからない。ちなみにWikipediaには

実力派俳優をキャストに迎えて、撮影も見事なものではあるが、内容は陳腐としか言いようがない。とはいえ、『ジャッジ 裁かれる判事』は午後にやってくる観客の大半を確保することはできるだろう

というRotten Tomatoesの批評が掲載されている。個人的にはそれは結果論に過ぎず、見ている最中はどの方向に転ぶかわからない緊張感に包まれていたことは付け加えておきます。言っておくけど、自分はすごく楽しめた。決して悪い映画だとは思えない。ただ、万人向けかどうかは自信が持てないだけ。

 

ちなみにこの映画の撮影を務めたのはヤヌス・カミンスキーで、音楽はトーマス・ニューマンと書けば映画好きは慄くと思う。というわけで、この映画は限りなくインディペンデント作品に近い腐るほど金がかかった映画ってこと。とはいえ「アベンジャーズ」とかと比べると本当に大したことないんだけどね。

なお、多少ネタバレになるけど、個人的には長年わだかまりを抱えて離れて生きていた父親の世話をする場面。まあ内容は伏せるけど、あれはもう誰にでもあること。自分はそうする親の姿を見てきたし、それを放棄する人も山ほど見てきた。20代30代でそれを経験した人はあまりいないと思うけど、村上春樹の「ノルウェイの森」における緑と父親の場面と同様に、それを経験した人だけがやたら共感してしまう場面が散りばめられていると思う。その辺りを演じるロバート・デュバルは凄かったです。この人、俺が高校生の頃から爺ちゃん役を演じてきたけど、今でも爺ちゃん役をやっててかっこいいんだから本当に凄い。現在84歳。

それからおまけ程度だけど、死ぬほど笑える場面が一箇所あります。「中年あるある」とかいったら「お前、中年じゃないじゃん!」と突っ込まれそうだけど、人生の奇妙さを手繰り寄せようとしたのかなーと思ったり。

 

追記

邦画において挿入歌でミスチルが流れるようなことが起こるけど気にするな!